第六章 解説

6.1 エリトロースとトレオース

最も簡単な糖であるアルドトリオース、グリセルアルデヒド(五章21と22)は、不斉炭素原子が1個の系のよい例であったが、炭素数4個の糖は不斉炭素原子が2個の系のよい例となる。

グリセルアルデヒドに比べて、中央のHCOH単位がもう1つ多い糖図6.1.1-1一このような炭素数4個のアルデヒド糖をアルドテトロースという一では、明らかに中央の2個の炭素原子、位置番号2と3の炭素は不斉炭素原子である。各不斉中心について、他の不斉中心の立体配置とは独立に、の2通りの立体配置がありうる。これは不斉炭素原子の数が何個の場合でも成立する。


図6.1.1

不斉炭素原子が2個以上の場合、Fischer投影図の一般則に従い、左右のリガンドは紙面の上方、上下のリガンドは紙面の下方にある(実際の分子では炭素鎖が一直線に紙面にのることはない。1つ1つの炭素原子の不斉を考えるとき、そのつど炭素原子が紙面にある、と考えることに対応させてある)。


図6.1.2

図6.1.2-2図6.1.2-3の対をエリトロース(erythrose)、図6.1.2-4図6.1.2-5の対をトレオース(threose)という。有機化学の世界には図6.1.1-1のように2個のキラル中心を持つ化合物はかなり多いため、その立体配置を図6.1.1-1の立体配置と対応させることがある。

2個の不斉炭素原子を持つ化合物(必ずしも隣接していなくてもよい)で、各中心に同一のリガンドが1個ずつ結合している場合、Fischer投影図でそのリガンドが同じ側の立体配置をエリトロ形といい前綴erythro-を、反対側の立体配置をトレオ形といい前綴threo-をつける。

6.2 酒石酸・メソ体

 


図6.2.1

酒石酸図6.2.1-9はアルドテトロース図6.1.1-1の2つの末端、-CHO基と-CH2OH基を酸化し カルボキシル基に変えた化合物である。図6.1.1-1の場合と同様、図6.2.1-9もまたC-2とC-3が不斉炭素原子である。したがって、図6.1.1-1との類推でいえば、その立体異性体数は22=4となりそうである。はたしてそれでよいのだろうか。いま図6.2.1-9の立体異性体を図6.1.2-2図6.1.2-5に対応させて書いてみよう。


図6.2.2

アルドテトロースの場合と少し異なって、C-2とC-3の不斉炭素原子に結合しているリガンドがすべて同一である。これは分子の立体化学にどのような影響を及ぼすであろうか。

問題は図6.2.2-10図6.2.2-11である。分子は中心(C-2とC-3の中点)に関して対称であり、(2R、3S)≡10と(2S、3R)≡11とは同一分子である。1011は互いに鏡像の関係にあるから、10は自分自身の鏡像と重なることになる。したがって、10はアキラルで、光学不活性である。10のように分子内に対称面があるため、不斉炭素原子を持ちながら光学不活性となる立体異性体をメソ(meso)形という。

したがって酒石酸には光学活性の図6.2.2-12図6.2.2-13、および不活性(メソ)の図6.2.2-10の計3種の異性体があることになる。このように分子内に対称面があると、可能な立体異性体の数が2(nは不斉炭素原子の数)より小さくなるから注意を要する。

酒石酸はブドウ酒醸造の際副産物として得られる酒石を原料として容易に得られるので、昔から純粋な形で大量に得られた数少ない立体異性を持つ化合物の1つであった。不斉炭素原子に関する立体化学がパスツールの酒石酸に関する研究からはじまったのは決して偶然ではない。はじめ酒石酸は(+)-酒石酸、およびラセミ酸とも呼ばれた(土)-酒石酸(後にメソ酒石酸が加わった)が知られていただけであったが、パスツールによるラセミ酸の光学分割によってはじめて立体異性体の間の関係が明らかとなった。

6.3 立体配置と立体配座

(-)-エリトロース図6.1.2-2と(+)-エリトロース図6.1.2-3のFischer投影図を参考にして(CH2OH)から見たNewman投影図を書いてみよう。分子は実際にはこのような重なり形配座で存在しているのではなく、ねじれ形で存在していると考えられる。しかしねじれ形は必ずしも1つとはかぎらない。


図6.3.1

分子がどの配座をとるかは、主としてリガンド間の立体反発が最小になる要因によって決まる。特に第1の不斉炭素原子の最大のリガンドと第2の不斉炭素原子の最大のリガンドがアンチペリプラナーになる場合に立体反発効果が最小になる可能性が高い。

6.4 不斉炭素原子が3個以上の系

アルドテトロースや酒石酸について試みた考察は、炭素数5(不斉炭素原子数3)あるいはそれ以上の複雑な化合物に対しても拡張できる。不斉炭素原子が3個の場合、各原子に配置か配置かの選択があるから、立体異性体数は2x2x2=23=8である。しかしこれはあくまで最大値であって、分子に対称面があるときはその数は8より小さい数となる。

6.5 糖類のD ,L系列

糖類において、カルボニル基からいちばん遠い不斉炭素原子の立体配置が(+)-グモルアルデヒドと同一の立体配置をD系列(-)-グリセルアルデヒドと同一の立体配置をL系列という。

この分類によって不斉炭素原子を2個以上持つ糖は2つのグループに2分されることになる。天然に存在する糖のほとんどは系列なので、この分類は実用的な意味がある。