5.3 ラセミ体と光学分割

5.3 ラセミ体と光学分割

エナンチオマーは旋光性およびキラルな試薬との反応性を別にすれば、すべての物理的性質(例:融点)、化学的性質(例:酸としての強さ)が等しい。エナンチオマーの1:1混合物をラセミ体(racemate)といい、(±)またはdlの記号で示す。ラセミ体は一方のエナンチオマーの効果が他方によって打ち消されるため旋光性を示さない。溶液の化学的性質はエナンチオマーのそれと変わらないが、固体の性質は異なることもある。ラセミ体のその成分のエナンチオマーへの分離を(光学)分割(optical resolution)という。分割は次の3つの方法に大別される。

  1. 物理的分割 : エナンチオマーが異なる結晶形で別々に結晶をつくる場合は、手で選別できる。
  2. 化学的分割 : キラルな分子と反応させ、生じたジアステレオマーを通常の化学的手法で分離する。
  3. 生物的分割 : 特定の酵素にエナンチオマーの一方を消費させる。

化学的分割の例として乳酸の分割を考えよう。分割試薬としては酸と結晶性塩をつくる天然に存在する有機化合物で塩基性のアルカロイドの一種、ブルシン(の一方のエナンチオマー。普通は(-)-ブルシン)を用いる。


図5.3.1

この2つは立体異性体ではあるがエナンチオマーではないからジアステレオマーであり、溶解度の差を利用して分別再結晶する。酸の分割にはこの例のような光学活性塩基との組み合わせがよいが、分割したいラセミ体が別の種類の化合物である場合には別の種類の光学活性試薬を用いる。表5.3.1にそれらの組み合わせをまとめる。

表5.3.1 ラセミ体の種類による光学分割試薬の種類
ラセミ体分割試薬の例
カルボン酸
塩基
アルコール
アルデヒド、ケトン炭化水素
ブルシン
ストリキニン、エフェドリン、シンコニン
カンファー-I0-スルホン酸、酒石酸、リンゴ酸
(フタル酸またはコハク酸の半エステルとし,カルボン酸として分割)
メンチルセミカルバジド、メンチルヒドラジン
(分子錯体、包接化合物などを経由して分割するが一般に困難)