第五章 解説

5.1 光学活性

光は、ニコルプリズムまたはポラロイド偏光板を通過すると偏光される。すなわち通過光は一定のはっきりした振動面を示す。第一の偏光板に平行な第二の偏光板は偏光を通過させるが、第二の偏光板が第一に対して直角のとき、光は完全に消失する(図5.1.1)。


図5.1.1 偏光板の向きと偏光との関係

ある種の化合物は偏光面を一定角度回転させることができる(図5.1.2)。この現象を光学活性(opticalactivity)、この性質をもつ物質を光学活性物質という。光学活性物質は必ずエナンチオマーの対(+型と―型)をなして存在する。一方のエナンチオマーが偏光面を時計方向に回転させると、他方のエナンチオマーは同一条件では同じ角度だけ反時計方向に回転させる。時計方向の回転は右旋性(dextrorotatory)、反時計方向の回転は左旋性(levorotatory)といい、それぞれdまたは(+)およびlまたは(-)で示す。


図5.1.2 光学活性物質による偏光面の回転

回転の大きさは化合物の種類だけではなく、濃度、光路の長さ、溶媒、用いる光の波長、温度によって異なるので、ある指定された測度、波長、溶媒に対して、溶液1mlあたり1gの光学活性物質を含む、長さ10cmのセルの試料の旋光を比旋光度(specific rotation)[α]λtと定義する。λは用いた光の波長または種類、tは温度を示す。一般には

5.2 キラリティ

エナンチオマーの対をつくる分子は必ずキラル(chiral)である。キラルな分子はそれ自身の鏡像にもとの分子を重ね合わせるとはできない(数学的には回映軸(alternating axis)を持たないことがキラルであるための条件である)。

キラルな分子は必ず中心性キラリティ(center of chirality)、軸性キラリティ(axis of chirality)または面性キラリティ(plain of chirality)のいずれかを持つ。これらを持たない分子をアキラル(achiral)であるという。

身のまわりのキラルな物質(それはきわめて多い)の中で、そのキラリティが問題の物質の用途や性質に決定的な役割を果している例も多い。右手と左手、右手用手袋と左手用手袋、右ねじと左ねじ等の例がある。

中心性キラリティを持つ最も代表的な分子は、4個の異なるリガンドが結合したsp3炭素である。一般的にCXYZW(X≠Y≠Z≠W)で表わされるこの種の炭素は、しばしば不斉炭素原子(asymmetric carbon atom)と呼ばれる。化学式の中で*をつけて指示することもある。

5.3 ラセミ体と光学分割

エナンチオマーは旋光性およびキラルな試薬との反応性を別にすれば、すべての物理的性質(例:融点)、化学的性質(例:酸としての強さ)が等しい。エナンチオマーの1:1混合物をラセミ体(racemate)といい、(±)またはdlの記号で示す。ラセミ体は一方のエナンチオマーの効果が他方によって打ち消されるため旋光性を示さない。溶液の化学的性質はエナンチオマーのそれと変わらないが、固体の性質は異なることもある。ラセミ体のその成分のエナンチオマーへの分離を(光学)分割(optical resolution)という。分割は次の3つの方法に大別される。

  1. 物理的分割 : エナンチオマーが異なる結晶形で別々に結晶をつくる場合は、手で選別できる。
  2. 化学的分割 : キラルな分子と反応させ、生じたジアステレオマーを通常の化学的手法で分離する。
  3. 生物的分割 : 特定の酵素にエナンチオマーの一方を消費させる。

化学的分割の例として乳酸の分割を考えよう。分割試薬としては酸と結晶性塩をつくる天然に存在する有機化合物で塩基性のアルカロイドの一種、ブルシン(の一方のエナンチオマー。普通は(-)-ブルシン)を用いる。


図5.3.1

この2つは立体異性体ではあるがエナンチオマーではないからジアステレオマーであり、溶解度の差を利用して分別再結晶する。酸の分割にはこの例のような光学活性塩基との組み合わせがよいが、分割したいラセミ体が別の種類の化合物である場合には別の種類の光学活性試薬を用いる。表5.3.1にそれらの組み合わせをまとめる。

表5.3.1 ラセミ体の種類による光学分割試薬の種類
ラセミ体分割試薬の例
カルボン酸
塩基
アルコール
アルデヒド、ケトン炭化水素
ブルシン
ストリキニン、エフェドリン、シンコニン
カンファー-I0-スルホン酸、酒石酸、リンゴ酸
(フタル酸またはコハク酸の半エステルとし,カルボン酸として分割)
メンチルセミカルバジド、メンチルヒドラジン
(分子錯体、包接化合物などを経由して分割するが一般に困難)

5.4 Fischer投影図

立体配置の表現法 不斉炭素原子の周りのリガンドの並び方を(立体)配置(configuration)という。立体配置をわかりやすく見せるのに正四面体図、くさび画法を用いることがある。しかし最もよく用いられるのはこれらをより簡単にしたFischer投影図である。次にCXYZWの1対のエナンチオマーを種々の画法で示した。

Fischer投影図においては、中心の不斉炭素原子は紙面にあり、左右の結合は紙面から上向きに、上下の結合は紙面から下向きにのびている、と約束する。すなわち、Fischer投影図78はそれぞれくさび画法34を表わす、と約束する。


図5.6.1

5.5 相対立体配置

  

図5.7.1

動物の筋肉内に見いだされる乳酸、いわゆる肉乳酸は右旋性を示す。これだけの事実から、肉乳酸の立体配置は図5.7.1-17図5.7.1-18のいずれであるかを決定できるだろうか。分子を目で見ないかぎりそれは不可能である。そこで立体化学の建設者たちは、目に見えない分子の構造について1つの仮定を立て、その仮定の上に1つの論理的な体系を組み立てた。それが相対立体配置(relative configuration)である。

    1. グリセルアルデヒドHOCH2CH(OH)CHO の1対のエナンチオマーについて、右旋性を示すものが、Fischer投影図で示したとき図5.7.2-21の立体配置を持つエナンチオマー、左旋性を示すほうが図5.7.2-22の立体配置を持つエナンチオマーと仮定する。

図5.7.2
  1. 図5.7.2-21および図5.7.2-22の不斉炭素原子の立体配置を変えないで、図5.7.2-21および図5.7.2-22から誘導できる化合物をそれぞれD系列L系列と定義し、D(+)-グリセルアルデヒド、L(-)-グリセルアルデヒドなどと書く。この立体配置の定義、表現を相対立体配置という。

5.6 絶対立体配置 一R,S命名法一

相対立体配置は、“基準物質の立体配置を2つの可能性のうちの1つに仮定する”、という点を除けば、矛盾のない体系であるのは事実であり、また実際的な意味でも不都合な点はない。しかし、本当はどうなっているのだろうか、という疑問は科学者の心を捕えて離さなかった。

1951年BijvoetらはX線異常散乱を利用して、1つのキラルな分子((+)-酒石酸ナトリウムルビジウム)の本当の立体配置一絶対立体配置の決定に成功した。それは幸いにもわれわれの用いてきた仮定と一致した。今日では多くの化合物の絶対立体配置が知られている。

相対立体配置は糖類と関連づけることが困難な場合も多く、また多くの化合物の立体配置が知られるようになったので、いちいち図で示したり、グリセルアルデヒドと関連づけたくても順位規則に基づく記号によって絶対立体配置を一般的に表わすほうが便利である。この約束がR,S命名法である。

各不斉炭素原子のまわりのリガンドの立体配置手以下の原則に従って定義する。

  1. 4個のリガンドの優先順位を順位規則に従って決める。
  2. それをL>M>S>sとするとき(不等号は優先順位を示す)、優先順位が最小のsの反対側から分子を見て、残る3つのリガンドをL→M→Sの順にたどる。この回転が時計まわりのエナンチオマーはR 配置(rectus=右)、反時計まわりのエナンチオマーはS 配置(sinister=左)である。