4.2 シクロヘキサンの反転
4.2 シクロヘキサンの反転
いす形シクロヘキサンと舟形シクロヘキサンの関係はどのようなものであろうか。模型を用いて調べてみよう。いす形シクロヘキサンの前足の部分を静かに上方に持ち上げると舟形シクロヘキサンができる。このとき模型を注意深く観察すると、炭素-炭素結合の回転が同時に起こっていることがわかる。このいす形-舟形の変換は、シクロヘキサンの反転(inversion)と呼ばれる化学交換(chemical exchange)の一部である(図4.2.1)。

図4.2.1 シクロヘキサン環の反転
いす形11がC1を中心とした回転(i)によって舟形12になることは既に述べた。実は11→12の変換と全く同じ確率でもう1つの舟形14が生じる回転(v)がある。舟形12はC1を下げてもとの11に戻ること(回転(viii))も、C4を下げて別のいす形13に変換(回転(ii))することも起こりうる。第二のいす形13は、C1を下げて舟形14(回転(iii))、C4を上げて舟形12(回転(vii))に変わる。一方、舟形14からの2つのいす形11または13への変化(回転(iv)と(vi))もまた起こる。いす形シクロヘキサンと舟形シクロヘキサンの変換のエネルギー障壁は低く、分子は容易に【11⇔12⇔13⇔14⇔11】のシクロヘキサンの反転を行なう。
シクロヘキサンの反転によってできる2つのいす形11と13は同じ形であることが分かった。しかしこの2つは厳密に同一といえるだろうか。アキシアル水素6個だけを持ついす形シクロヘキサン(図4.2.2-15)をつくり反転させてみると、もう1つのいす形16では、この水素はすべてエカトリアル水素となっている。同様にエカトリアル水素6個だけをもつシクロヘキサン17は反転によってアキシアル水素6個を持つシクロヘキサン18に変わっている(図4.2.2)。

図4.2.2 反転によるアキシアル⇔エカトリアル変換
すなわちシクロヘキサンは反転によって同一のいす形に変わるのではない。水素原子を無視すれば確かに11と13とは同一であるが、15と16、17と18は同一ではない。もしシクロヘキサンの2種類の水素原子が区別できるならば、シクロヘキサン(図4.2.3-19)と、反転によって生ずる別のいす形20とは別の物質となる。このことは置換基を持つシクロヘキサンの反転を考察すれば明らかとなる。

図4.2.3